陸上競技を選んだ理由

最近は人生について考えたりしています.
人間って何のために生活しているのだろうか.どうせ死ぬのになぜ頑張るのか.

自分の人生についても考えたりしています.
自分は人生という限りなく大きな可能性のある中でなぜ陸上競技を選んだのか.
人間は生物進化の過程で走ることが苦手な部類になっている.そこらの犬にさえ勝てない.
それなのに,なぜあえて苦手競技である「走る」ことで勝負しているのだろうか.
他の生物に比べて頭脳が優れているのなら,そこで勝負するべきではないか.
また,介護の経験を通して,知的障害者が必死に生きている姿を見てきた.
そして,自分は走ることに必死になっている.・・・なんか少し違う気がした.

そもそも考えることが出来てしまうから無駄なことを考えてしまう.
人間はどのように誕生したのか.
日本ではダーウィンの進化論が有力だけど,そこには過程の仮説しかなく,起源の仮説について触れていない.
確かにより良い遺伝子が残ったかもしれないけど,そのスタートはなんだったのか.
ビッグバン?衝突?微生物?!本当かよって疑ってしまう話ばかり.

「知的設計者」の話を知っているだろうか.
宇宙のどこかに知的設計者がいて,その知的設計者がたとえばDNAを設計して,
生物を創り出したという説.

当然,これも人類誕生のたくさんある仮説のなかのひとつにすぎない.
でも,アメリカではこの説を中・高校生に教えるかでいろいろな議論が行われているらしい.
ちなみにアメリカの13~17歳を対象にしたアンケートでは,ダーウィンの進化論を信じているのはたったの37%らしい.(参考:本『99.9%は仮説』)

まぁ,人間がどうやって誕生したのかはすごく興味深いけど,それ以上に・・・
人間はなぜ誕生したのか,なぜ人間が生き延びているのかが知りたい.
仮にダーウィンの進化論が正しいとしたら,
なぜ人間が事実上,地球上で最も強く生き残ってしまっているのだろうか.
生物を相対的に比べて人間は明らかに完全体ではない.あまりにもろい生き物.
そして,環境を見事に破壊しているのも紛れもなく人間である.
人間なんて消えてしまえばよいのに!とまでは思わないが,
人間が生きている価値はあるのか!?とは感じる.

人生に関して,陸上に関してどれだけ考えても最後はいつも「自己満足」という結論に至る.

全ては自己満足な気がする.このブログも完全な自己満足(笑)
いかに自分を満足させることができて,それによって幸せをどれだけ感じることができるのか.
これが”人間の生きている意味”と俺は結論付けたい.
(それを勝手に結論付けてなんの意味があるっていったら,やっぱり自己満足ね☆)
その上で,果たして自分が最も生きてる意味を見出せることはなんだろうかと考えてみる.

やっぱりそれは陸上以外の何者でもないと思う.
自分を一番満足させることが出来るものは間違いなく陸上競技,100mに違いない.
走ることが好きだから.もっと速く走りたいから.自分の限界に挑戦したい!
同じ部活にはものすごく高い志を持った仲間もいる.立派なグラウンドもある.
自分は最高に恵まれた環境で練習ができているんだ.
変なことばかり考えていないで,夢に向かって進もう(><)
人生において,俺は「走ること」を選んだのだからどこまでも走っていこう!